ひきこもり明けのうた

私の足で歩く。ひとに会う。なかなか、ひとに会いに行けなかった。どこにも出かけられなかった。長いこと、長いこと、縁の下で這っていて。暗い中にちょっとした小窓みたいなのがある。それを目指して這いつくばる。早くは動けない。カタツムリどころじゃない。すごくゆっくりだった。とほうもなく。数十年かけて、おそらく5mほど。それは、私の意志でそうなったのか、そうなるようになっていたのか、そうして学ぶことが私に必要だったのか、なにもかも定かではない。植物が芽を出す場所はいろいろで、そこから光を求めて移動していかなくてはいけなのは、世間の茶飯だし。何も特別なことではない。よくあることで。とにかく、私は、縁の下の小窓にたどり着いた。それで、やっと、光を見たけど、外は何もたいして素敵でもないよ。だからって、縁の下も素敵というわけでもないよ。身の置き場所が必要だっただけで、つまり、縁の下に私の身を置かしてもらっていた。ありがたいことです。外へ出ても、みなさん親切にしてくださる。ありがたいことです。時々、くじけそうになるだろ。そしたら、次の縁の下を探すだろう。縁の下の小窓を今度は外から探すだろう。奇怪なことだけど。植物がその身を潜らせる闇を探す。でも、前と違うのは、明るいということ。ここが、明かるいということ。今見ているものが、明るいということ。光合成ができる。それが幸せなことなのか、そうでもないのか、分からない。でも、とにかく、出た。

 

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ひとはそれぞれ自分の世界を生きている。その世界はそのひとの一生とともに生まれて消えていくもの。おそらく、そのようなもの。実は誰とも分かりあえてなかったりするかもしれない。それに、実際分かりあう必要もないかもしれない。言葉や数字やその他、記号もかたちも色もみんな自分の好きなイメージでとらえて話している。どんな色がついているのか、誰ともシェアできない。その人の感覚はその人だけのものだから。私たちの身体は結構ごつい。分子が結構集まっている。だから、同じ時間に同じ場所を共有できない。同じ時間に同じものに同じ位置で触れることが決してない。生き物っていうのは、おそらくそういうもの。唯一無二の感覚の積み重ねを抱(いだ)いて動き回っている。感覚というのは孤独なもの。だから、そのひとがどんなに貴重な存在かわかるだろう。あの小さな子ども、道を歩いて今しゃがんで蝉の抜け殻をひろったあのひと。すべては時間の仕業だよ。決して再現できない時間が、絶え間なく吹く風のようにいきものに吹きこみつづける。それは、おそらく呼吸と同期してる。だから、気づかないけど。たぶん、それで、こういうことになっている。

 

 

そういうわけで、とにかく、自分の最期の断末魔は引き受けなきゃならない。これは誰も代わってくれない。シェアできない。自分で耐えなきゃいけない。最後の大仕事だ。だから、みんな一生懸命自分で考えて、生きている。そう易々と預けられないな。生きて動ける一回限りの人生の切符をみんな大事に生きている。身体も心もできるだけ痛くないように。

 

 

 

上の記述で、ひとつ、私自身、裏の取れていない部分があって。「数字」という記号の特徴について。数字は誰が見ても同じものを指している?いや、数字も揺れ動く感覚の一種のようなもの?あ゛-、ここがなあ。これ、証明できたらな。数字自体が時間によってランダムに変化していて、さほど信用できない記号であることを証明できたなら。おそらく、1が1で、7が7で、9が9として機能するのは人間の脳みその中だけで。実際モノに数字をくっつけたら、1が6で、3が8、9が5のあと、4が1みたいに。瞬間しゅんかん、散らされ続けてるんじゃないかな。数字たちは。でも、予測だけど、頭のなかの数字が身体に帰ってくる日は近いな。そうしたら、数字は遊びの道具になるよ。おもちゃになるよ。数字は、ただただ音楽になって、空気の振動とともに瞬間しゅんかん旅をする。

 

 

もし、数字がさほど信用できない記号であると、私たちの頭が理解をしたなら、都会の風景は少し違うものになるだろうな。柔らかく、優しくなるだろうな。誰も傷つけることなく、誰も責めることなく、ゆっくりと静かに静かに溶けるだろうな。そうだ、いつのまにか、戦場だって、柔らかく、優しく溶けているかもしれない。

 

1939-1945

 

「愛」と「家族を養うこと」の間に一風変わった歯車が挟み込まれたようです。それが回った頃があったらしい。男性も、女性も、どうしてよいやら。どうしたらよかったというのですか。おそろしいこと、つらいこと、もう、十分味わったのです。

 

この時を生きたひとから、直接話を聞いた世代として、これは、常に私の机に載っているテーマです。観察してもしつくせない。人間が見た、最もおそろしいもの。言えないこと、言えること。私は、歴史のことはよく知らない。難しいことは分からない。けれど、何だったんだろう。人間から何が出てきてそういうことになったんだろう。おおもとを観察したい。人間の頭の世界。身体の声をかき消す、ちょっと見慣れない歯車の軋(きし)み。

 

人間の意識っていうのは、不思議なもので、先鋭化させようと思ったら、いくらでも。これは、どんな些細なことででも、意識ってのは先鋭化できる。もう、みなさんもよくご存じだろうけど、これは「恐怖心」とリンクしています。それで、私のようなものは、それをまるくしたいわけです。先鋭化した意識を散らしたいのです。散らされて、均(なら)された意識ほどしっかりものを観察できます。判断が鈍らない。脳みそを使う人間として判断が鈍るのが一番怖い。先鋭化したものは記号とリンクしやすい。散らされて均されたものは、記号にしにくい。手を握った感じですよ。あたたかくて柔らかくて、汗もかいているかも、それが一つになって「手」ですよね。相手の「手」の状態もある、自分の「手」の状態もあって、互いに握った感じはもう、記号であらわせない。そのままのもの。”そのまま”が、一番確かな情報をくれる。

 

”そのまま”は時間とともに常に変化する。だから、常に観察し続ける必要がある。結論を出して、それを技術に変換して、その「もの」を管理しようとしている間も、もう、”そのまま”は動き続けて、先を行っている。「手」というモノが相手なら、まだ妥当な技術が機能するかもしれない。けれど、対象がいきものだったら、人間だったら、そのひとの考えや思いだったら。そういうものは、次元からして変化していくもので、一瞬前は、もう2億光年むこうと同じくらい以前だったりする。人間を相手にするということは、つまり、それなりの覚悟がいるのかもしれません。

 

今後の考察課題/ キーワード:時間、不可逆、再現不能、Random、記号の真価、「愛」、「家族を養う」という歯車(随時追加)

 

詩をつくる

 

これはね、まっとうな記号の使い手になるってことだよ。魔法使いになるってことだよ。本当の音楽を奏でるといいよ。本当に、出したい音を出せばいいよ。身体の声をよく聴くといいよ。風の音を真似るといいよ。何もかも、とにかく静かなものだよ。誰の中にもあるもので、特別なものじゃない。誰にでも、今すぐできることだよ。もし、音や詩やその他いろんなものを、特別なもの、特別な技みたいに高い処からやるヤツがいたら、面倒くさいだろ。うっとおしいだろ。そんなんじゃないよ。そんなんなわけないだろ。そんなものだったら、なくていいよ。

 

とにかく、君は歓迎されてる。無条件にね。ごちゃごちゃ、考えなくていいよ。かっこ悪くてもいいかと言われると、それはね、だめだ。かっこだけは譲るなよ。

 

本当にいいものってのはね、「君は何もかも持ってる、何にも心配いらない、もし、必要だったらなんでも持って行くといい」って言ってくれるようなものだよ。脱力というのはそういうもので、それはつまりリズムだよ。この上なくあたたかいものだよ。要求することも、要求されることもない。それで、種明かしをすれば、かっこなんかつけなくてもかっこよくなってしまうんだよ。脱力ってのはたいしたもんだ。ダンスするってのはそういうこと。

 

そんなちっちゃいもの一生懸命握ってなくていいよ。大変だろ。放して、全部下に落としても、大事なもの、必要なものは、君の身体の中にちゃんと入ってる。ひとはそれを聴いてる。君のリズムを聴きたいと思ってる。

 

 

  

これを信じるか信じないかは君の自由だけど。実は、この世界をつくっているのは君自身なんだよ。君が最後の呼吸を終えたなら、この世界は消えてなくなるんだから。いい記号の使い手になりなよ。

 

それには記号の真価を知っていないといけない。記号ってのは、数字や文字のことだよ。そういうものは、どれも、ひとつでは何の役にも立たない。ひとつでは何も機能しないんだ。ひとつの言葉を一生懸命握っていても、この宇宙に流れる時間には乗れない。記号はね、並べ続けて価値がある。それも、それぞれさほど関係のないものを並べ続けてやっと、価値が出る。不思議なものなんだ。それは、時間というものが現れた結果だよ。君の身体は、その脈絡の無さが大好きなんだ。それは、そうすることでいろんなものがよく見えるようになるからだ。身体はいろんなものを、いろんな風に観察していたいんだ。それに気づけたのなら、もう、自由に記号を使える。誰かを管理しようとしたって、もう無理だよ。君自身を管理しようとしたって、それも、もう、無理だよ。君は誰も管理できない。そして、誰からも管理されない。数字も言葉も、あらゆる記号がやっと、身体に戻ってきたんだ。頭は身体の僕(しもべ)だよ。それを理解したものだけが、この世界をつくる記号の使い手となるんだよ。それには、深い「愛」がいる。信じることだよ。生きてるってのは素晴らしいことだと。いいきかせるといいよ。そして、ひとたび踊り出したら、君はそれを確信するだろう。瞳が瞳として輝くだろう。過去とか未来とか、そんなものもなくて、時間が点になる。君が何者なのかももう重要じゃない。

 

 

 

この宇宙に生きてみようと決めた人間が、今までこの地球上で数えきれないほどの呼吸をしてきた。彼らは自然や宇宙や社会の狂気の中を全速で走るなかで、自分が落としたものを拾おうとかがんで足元を見たよ。そして、そのまま、走るのをやめて、じっとしゃがんで足元を見てた。記号との戦いは、こうして、終わるんだ。記号の使い手は現れ続けて、戦いは終わり続ける。君は記号の使い手になるんだろ。じゃあ、記号は君の友人で遊び相手だね。

 

 

君は自分の食べるものを自分で育てて、自分で料理して食べる。そう、食べ物が君を歩かせている。食べ物が君にいろんな想像力を与えている。記号を扱う力も、何もかも、食べ物が支えてくれている。お金じゃないんだ。数字じゃない。言葉じゃない。君のリズムは食べ物がつくってる。食べ物が君と土と空をしっかりとつないでいるんだよ。

 

詩をつくるっていうのはそういう仕事なんだ。