いきものの声

先日、ヨルチャさんで「詩と音楽のジャムセッション」なるものをさせて頂きました。参加者のみなさんの詩の朗読を受けて私が即興演奏するという企画だったのです。私は、これをさせて頂いたことで、大きな発見がありました。ヨルチャさんのオーナーさんは、詩演家と自らを呼ばれる詩人でいらっしゃいます。その方が、おっしゃったのは、詩と音楽でセッションをするなら、詩は音としてとらえていいと。実は、私がお客様の朗読された詩の意味をとらえようし過ぎてセッションが停滞する場面が何度もあったのです。けれど、その詩人が終わってから言われたのが、吐かれた言葉は音として受けて、私はその音に反応すればよかったんだと。これは、すごいことですよ。これは、もう、鳥ってことですよ。鳥は言葉を使わない。けれど、毎日彼らは確実に何か伝えあっている。または、独白している。私は、実は鳥が何言ってるか分かるときがあります。朝は「きもちいい」みたいな感じですね。巣に蛇が近づいてきたのも鳴き声ですぐに分かります。いわゆる警戒音を発します。悲痛な声もわかる。じっと、何も言わなくなったら、ヘビにやられていた後だったりする。

 

わたしたちは 言葉の意味をどれだけ共有しているのでしょうね。意味をいったん試しに横に置いてみて、人間も鳥になって、言葉を音として、鳴き声としてとらえたら。人間が”いきもの”として鳴く気がする。もちろん、言語の垣根も超えていける。

 

鳥ならぬ人間といういきものとして楽器をもったり、詩を朗読したりする鳴き声セッションなら、コール&レスポンスで進めると楽しいかもしれません。前のひとを受けて音で返す場合は、同じくらいの長さで返してみる。真似して、オウム返しでかえしてもいいかもしれない。MCを含め参加者すべてが対等で同じだけ順番が回る…。そういう工夫をもっとするべきだった。反省は尽きないですが、貴重な経験となりました。これから、私が、身体から生まれる音、音楽について考えを深めていく材料をたくさんいただきました。7月2日の「詩と音楽のジャムセッション」にご参加いただいたみなさま、ヨルチャさん、本当にありがとうございました。