細胞の為に音を奏でる

 

私は、いつも思うことがあって。私の細胞ひとつひとつを最後まで使い切りたいと思うのです。私は、とても欲張りなのです。けれど、細胞を生かす場がなければ。細胞ひとつひとつを存分にこの世に踊らせて、使い切ろうにも、舞台がなければ。舞台をちゃんちゃんと準備しておいてやらないと、細胞は踊る気もしなくなる。もう、嫌だと言って、殻に入られてしまって、いつのまにかなくなってますみたいなこと、ちょっともったいないなと思うのです。その舞台を私は、死ぬまで毎日、ちゃんちゃんと準備する。ちゃんちゃんと準備していきたいのです。それは、どんなかたちの舞台でもいい。方法は限らない。

 

//まずは//細胞が踊る舞台のつくり方:食べること、身体を動かして働くこと、入浴すること、寝ること、調子に乗ってひとまえで歌うこと、観察すること、笑うこと、刺すこと、愛すること、ひととつながっていることを時々確かめながらひとりになること、時々記号で遊ぶこととそのあときれいに記号を消去すること、天気のいい日を逃さず布団を干すこと、掃除洗濯をすること、どっかでがっつり働いて貯えること(随時追加)

 

//それから//私は//いろんな細胞のこと思う:自分の細胞、他人の細胞、ヒト細胞、哺乳類の、鳥の、爬虫類の…、原生動物の、ボルボックス、酵母…

 

//最期に//私は//細胞のために音を奏でたいと思う

 

細胞にあてて音楽を奏でる:細胞宛のHappy Birthdayがあってもいい。レクイエムも。そのあいだを埋めるいろんなダンスを促すもの。ヒト細胞にむけて奏でたい音はもちろん、私たちの細胞ができるまでの進化の過程ですごしてきたあらゆるいきものの細胞へリスペクトしたい。愛おしいと伝えたい。あなたが必要だと伝えたい。踊ってほしいと伝えたい。そして、今存在するあらゆる細胞に存分に踊って頂きたい。私は細胞が踊るためのビートを提供したいです。私の役割は、そのビートをちゃんちゃんと打つことです。細胞の為のビート。こめられるすべての愛をこめて。

 

 

追記:細胞は自分で自分の存在を終了させるプログラム備えていると聞いたことがあります。アポトーシスと呼ばれています(Wikipedia アポトーシス)。それがあるから、世代交代していく。どんどん、古いものが新しいものに変わっていく。それを、みなさんは細胞の「死」と呼びますか?私は、そういうふうにとらえてなくて、それは、最後のダンスで、必要なダンスだととらえています。悲しむべきものでもないし、感傷的になるべきものでもないと思います。ただ、原子爆弾の放射線を浴びた細胞が、このアポトーシスを起こして皮膚上で斑点になっていると聞いた時は、やるせない気持ちになったのを覚えています。これは、極端な緊急事態の話です。けれど、私たちの日常にあるレベルの話のなかで、まだ踊れる細胞に「もう存在したくない」なんて思わせたくないな。つまり、逆に、細胞というのは、「細胞さん、あなたが必要だ!愛してる!」と歌っているのを聴いて、元気に踊りたくなるようなものかもしれませんよ。だから、これやってみようと思います。上の。いつか。