理科部屋

理科が好きです。実験や観察と、宇宙のいろんなこと、フィールドワーク。たいしたことはしないけれど。身近な自然のドキッすること、怖くてゾクゾクすること、素敵すぎてゾクゾクすること、いろいろ。私の日常。

 

学生のころから理科が好きで、すごく楽しかったことを最近よく思い出して、またいろいろ興味が湧いてきています。地球物理学で、地下水の湧出域(湧き出すところ)や涵養域(沁みこむところ)なんかを詳しく調べたりしていました。水辺が好きです。池や川や、水の張った田んぼ、井戸、基本的に淡水が好きで、今でもどこか歩くたびに水をのぞき込む癖があります。青や緑の深い水に黒い大きな鯉が泳いでいるとゾクゾクします。池で鯉を見るとどれが「夢応の鯉魚」かなと思って見るのです。これは、雨月物語に出てくるお話で、人が鯉の姿になって琵琶湖を泳ぐ話なのですが、私も夢応の鯉魚になって、琵琶湖を泳ぐのを想像するのです。一番深い谷とかこわごわ探検したいな(最大水深-103.8m、平均水深-41.2m)。でも、私の肝では無理かな。たぶん、明るい処でぷかぷかして目がさめるでしょう。

 

理科に戻って、私が最近持っている疑問があって、「数字って何だろう。科学的な証明がどこまで信用できるんだろう。」と。実は、私は理科が好きだと言いながら、科学に懐疑的なところがあって…。自然を観察し、自然のなかの一部として生きる人間の知恵として科学があるのなら私はこんな疑問を感じないだろうと思います。自然界の大きな現象の一部であるのなら、それもそのまま受け入れようと思います。けれど、今の科学のなかには、人間の「頭のなかの世界」で自然を管理しようというような、自然のありようを受け入れることからは離れていっているような嫌いがあって。こういう世界が実現するなら、いろんな小さな神様や、精霊の棲み処が、私たちの目から見えないところに消えていくように思います。安全と衛生的であることと、効率の良さは大切なことです。でも、何か、ほかにも私たちの身体に必要なものがあるかもしれない。予測だけど、たぶんそれはあまりお金にならないものなのだと思います。だからこそ、後回しになっているのかもしれない。この疑問が的を得ているのか、外れているのかも含めて、考察していきたいです。

 

私たちの身体は、物質でできています。だから老化もするし、同じことをやりすぎると疲弊もする。必ず、終わりが来ます。どういうわけか、こんなに複雑な機能と骨格を手にして、そこらを歩き回っているけれど、考えたら奇跡的なことで、でも必然的なことだとも思える。人間の身体は自然から生まれたものです。生き物や緑の不思議な世界のなかに私たちの身体も入っているはずで、一方また、私たちの身体の中にも進化の過程で触れてきた海や緑の世界、そのリズムや音が潜んでいるはずです。そんなことを意識してこの世界を観察したいなと思うのです。