数珠繰り(じゅずくり)

私のふるさとでは、特別な日に、直径2mほどの大きな数珠のまわりに近所の15、6人が車座になって、”南無阿弥陀仏”と唱えながら、その数珠を100回まわす風習があります。終わるまで結構、時間がかかります。おそらく、30分くらい。7月24日の地蔵盆の夜(私の村では旧暦のままの日付でお祝いします。通常は8月24日が多いようです。)と、人が亡くなってから49日目の日にこれをします。

 

これが、とっても面白くて。そのリズムは3連裏拍ノリになって(つまりSwing Jazz)、しかも、皆がノッてくると、数珠がいきものみたいにバウンドして波打ちます。持って回していると手が痛いくらいになってきます。私は子どものころ参加した時に、よく数珠から手を放して、数珠がびょんびょん波打ちながら目の前をとおり過ぎるのを見ていました。

 

おそらくですが、土着のリズムは、たいていこういった共同作業から生まれたのではないかと予測しています。今の例は大きな数珠でしたが、例えば「大綱とび」にも、独特のリズムがありますね。呼吸を合わせて中に入って、その呼吸さえ外さなければ出入り自由です。当然、綱に働く重力と回す人の呼吸とが相まってリズムが生まれるわけですが、土(Earth)から生まれるリズムというのはたいていそういうものかなと思うのです。私は、そういうものに興味があります。人間の頭のなかで記号を使って作ったものより、体と土から生まれてきたような、無理なく存在し続けているものに興味があります。リズムは、祈りと密接な関りがありますが、そういうものが大切な人を亡くした悲しみを和らげたりするのでしょう。お経を唱えるのも、亡くなった人のためとはいえ、実質的な機能としては、残った人の癒しにつながるからするのかなと思うのです。